こんにちは、MASAYAです!この【不登校再考記】では、不登校を経験した私が当時抱えていた悩みや思いについて、今あらためて考え直してみるというちょっとした“日記”のような企画です。今回もゆるくお付き合いいただければ嬉しいです(笑)第2回となる今回のテーマは、「勉強へのトラウマ」について。私自身、不登校だった時期は勉強というものに強い苦手意識があり、正直怖いとさえ感じていました。今でこそ大学に通いながら学ぶ楽しさを感じられるようになりましたが、そこに至るまでにはいくつかのきっかけや心の変化がありました。今回は、そのあたりを自分なりに振り返ってみたいと思います。同じように「勉強が怖い」と感じている人にとって、少しでもヒントになればうれしいです。勉強が怖かったのは「周りと比べること」が当たり前になっていたから中学生のころの私は、学校に行けておらず自宅でほとんどの時間を過ごしていました。当然、勉強もほとんどしておらず「自分は遅れている」という感覚だけが強く残っていたように思います。ある日、学校に通えていない子たちが集まる別室に顔を出したことがありました。そのとき、そこで普通に勉強している同級生たちの姿を見て「ああ、自分は何もしていない」と絶望感を抱いてしまいました。当時の私は、「勉強はするのが当たり前」「できない自分はもう手遅れだ」という思い込みに縛られていたんだと思います。だから、勉強に向き合うことそのものが怖くなっていたのかもしれません。今振り返れば、それは周りと比べてばかりいたからこそ生まれてしまった気持ちでした。「勉強しなくてもいい」フリースクールで変われたそんな私が少しずつ変わり始めたのは、フリースクールに通うようになってからです。フリースクールでは「勉強をしなければいけない」と言われることはなく、自由に過ごすことができました。勉強をしなくてもいい空間は私にとって本当に安心できる場所でした。そして何より、同じような悩みを抱えている仲間と出会えたことが大きかったです。「自分だけじゃなかった」と思えたことが本当に救いだったと思います。そうして安心して自分と向き合えたことで、少しずつ勉強をしてみようという気持ちが生まれたんだと思います。そうして始めた勉強は、中学生でしたがまずは小学校の復習から始めました。恥ずかしさもあったけれど、自分のペースでいいと思えたことで焦らずに勉強することができました。その積み重ねが自信になって、結果的に高校受験に挑戦しようと思えるようになり、今の大学進学にもつながっているのだと思います。勉強は、「誰かに追いつくため」にやるものじゃない当時の私は、勉強は「遅れを取り戻すため」「人に追いつくため」にやるものだと思い込んでいました。でも今では、それが全てじゃないと思っています。むしろ、自分のペースで学べること、自分のためにしていると思えることにこそ、勉強の意味があるんじゃないかと思うようになりました。私にとって、その転換点になったのがフリースクールという安心できる居場所でした。無理に頑張らなくてもいい。そんな場所があったからこそ、私は自分と向き合う勇気を持てたのだと思います。まとめ:「焦らずに学べる場所」があることの意味今回は、「勉強がトラウマだった自分」がどうして変わっていけたのかを振り返ってみました。今も勉強は「やらなければならないこと」という意識はあります。しかし、不登校だった頃に比べればそのように考えて辛くなることもなくなっています。それは、これまで、フリースクールや通信制高校で様々な人と出会い、人それぞれのペースがあるということを知ったからです。受験勉強の時はそんなことを考えている余裕はありませんでしたが、しんどくなったときにはふと、「自分には自分のペースがある」と考えていました。今、勉強に不安や苦手意識を持っている人もたくさんいると思います。でも、焦らずにいられる場所、自分のペースを大切にできる時間があればその不安に向き合うことができるかもしれません。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!※今回の記事をもって、ブログの更新はいったんお休みに入る予定です。また再開する日が来たら、ぜひ読みにきてくださいね。フリースクールについてのご質問があれば、お気軽にお問い合わせフォームからどうぞ。記事へのご感想などもお待ちしています!