こんにちは、MASAYAです!今回から不定期で、「不登校だったときに抱えていた悩みや気持ち」を改めて見つめ直していく企画、その名も【不登校再考記】を始めます!このシリーズでは、不登校を経験した私の視点から、「あのときの気持ち」に言葉をあてていきたいと思っています。第1回目のテーマは、「自分でも理由が分からない」という気持ちについて。当時の私は、親や先生から「どうして学校に行きたくないの?」と聞かれても、いつも「分からない」としか言えませんでした。この記事では、そんな「分からない」という言葉の裏にあった思いを、今の自分なりに振り返って考えてみたいと思います。同じような気持ちを抱えている人がいると思うので、少しでもヒントになれば嬉しいです。学校に行きたくない理由に「分からない」と答えるのはなぜ?不登校だったころの私は、「自分の気持ちを言葉にすること」そのものがとてもつらかったです。今振り返ると、「分からない」と答えていたのは、自分の気持ちに向き合う余裕がなかったからだと思います。現実を受け止めるには、距離を取って心を休ませる時間が必要でした。だから、誰かに「どうして?」と聞かれても、「分からない」と答えることで自分を守っていたのだと思います。本当は「分かりたくない」という気持ちもあったのかもしれません。どうすれば自分の気持ちに気づける?もし今、お子さんが「分からない」と言っているなら、無理に理由を引き出そうとしなくても大丈夫だと思います。それは「気持ちと向き合う準備がまだできていない」というサインかもしれません。そんなときは、原因を言語化するのではなく「好きなこと」や「安心できる場所」から考えてみると良いのではないでしょうか。好きなものやホッとできる場所を言葉にすることが、やがて「自分を理解する一歩」になると私は思います。言葉にしないことで心が落ち着くこともある「嫌なこと」「しんどいこと」って、言葉にしないほうが楽なときもありますよね。私も、不登校だったころは「なにがつらいのか」を考えれば考えるほど、ますますしんどくなっていました。たとえば、「なんとなく苦手」と感じる人がいたとき、「どこが嫌なのか」「なぜそう思うのか」と深掘りしていくと、余計にその人と話すことが苦しくなってしまったりすることってありませんか?そんなときは、あえて深く考えすぎず、曖昧にしておくことで気持ちが安定することもあります。言語化しないという選択も、心を守るうえで大切な手段なんだと思います。まとめー「今は分からない」も大切な感情今回は、不登校だったころの自分がよく使っていた「分からない」という言葉について、今の視点から考え直してみました。「分からない」という言葉の裏には、自分を守ろうとする気持ちや、余裕のなさが隠れていることもあります。でも、それは決して悪いことではなくて、「今は分からない」という状態も、ちゃんとした“気持ち”のひとつだと思うんです。無理に言葉にしようとしなくてもいい。少しずつ、自分のペースで気持ちと向き合っていけたら、それで十分だと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!次回の更新は2週間後の予定です。どうぞお楽しみに!※ちなみに、次回の記事をもってブログ記事の更新はいったんお休みに入る予定です。また再開する日が来たら、ぜひ読みにきてくださいね。フリースクールについてのご質問などがあれば、お気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください!記事のご感想などもお待ちしております!